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亡き父が私に植えつけた、壮絶な 「スキー場」 の図。





幼い頃。この時期、私の父親は留守がちだった。

何かの折に、周囲の大人が 「お父さんは?」 と聞くと、「スキー」 と私は答えた。

彼らは一様に 「ええなあ~。スキーかあ……」 と言うので、私は不思議で仕方なかったが、
後年、彼らが 「スキー=レジャー」 と解釈しているとわかって合点した。

                 ◇ 
               
亡き父は観光バスの運転手だった。
私に中では 「スキー」 といえば 「過酷な送迎」 である。

                 ◇

このシーズン。父は連泊して。ひょっこり帰ってきては、陽のあるうちから酒を呑んでいた。
運転席への雪の照り返しだろうか、父は赤黒く日焼けしていた。
あるいは、酒焼けだったか。

                 ◇

酔い加減が整ってくると父は、雪国での運転がいかに危険かを教えてくれた。
大きなタイヤにチェーンをかけるのも、手がかじかんで思うようにいかないらしい。

スリップ。追突。立ち往生。色んな災難を横目に走るのである。

大勢の命をかついで。

                 ◇

無事に、着けば着いたで、あちらは極寒の世界。
当時は宿泊施設もひどく、食事は貧祖で、「一畳に一人寝とる」 ということらしかった。

父はスキーに全く興味がなかったようで、

「あんな思いをして、スキーに行く奴の気が知れん」

と、酒気交じりに言っていた。

(運転手はそこそこの待遇で、滞在中はずっと一升瓶の見張り番をしていたようだ)

                 ◇

「どこそこのおばさんが作った野沢菜」 を父は土産に持って帰った。

それを肴に酒を呑む。

ある年。観光バスの転落事故があり、多くの若い命が失われた。

「そこを通るとき。お客さんが皆、手を合わせる」 と父は言った。

「あそこはな。いつか、誰かが 「やる」 と思っていた」 

とも言い、酔った眼をその地に馳せた。

若い頃。ある事故に関わった父……。今思うと、その言葉は重い。

                 ◇

30年以上の月日が流れた。

道路事情と車の性能が良くなったのか、皆、気軽にスキーに行くようである。

しっかり 「はっ水」 する暖かなウェアーもあるし、
昔のように 「耐え忍ぶ」 という感じでもなかろう。

                 ◇

あ。そういえば、何度か、「空きがあるから一緒に行くか?」 というような話があった。

父がどういう権利?を行使しようとしていたのかは、今となっては判然としないが、
結局それも、うやむやになり行かずじまい。


結局私は……。生まれてこの方スキー場に行ったことがない。

というか。雪が降ったら車に乗らないし、どこにも行かない。

いや。てんと一緒に散歩には行く。

そして。

氷雪と白い息の彼方に、父が運転するバスが浮かび上がると、静かに目で追うのである。





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